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京都地方裁判所 平成5年(行ウ)25号 判決 1998年3月27日

平4(行ウ)32号、平5(行ウ)25号事件

原告 小林勇夫こと李昌錫

平4(行ウ)32号事件

被告 国、内閣総理大臣

平5(行ウ)25号事件事件

被告 総務庁恩給局長

代理人 久留島群一 新田智昭 小笠原正喜 西尾昭彦 岩倉広修 谷岡賀美 吉岡豊 信田尚志 戸根義道 丸谷淳一 ほか五名

主文

一  原告の平成四年(行ウ)第三二号事件被告内閣総理大臣に対する各訴えをいずれも却下する。

二  原告の平成五年(行ウ)第二五号事件被告総務庁恩給局長に対する請求を棄却する。

三  原告の平成四年(行ウ)第三二号事件被告国に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一1  主位的請求(平成五年(行ウ)第二五号事件)

被告総務庁恩給局長が原告に対し平成四年一一月四日付けでした旧軍人普通恩給請求棄却処分を取り消す。

2  予備的請求(平成四年(行ウ)第三二号事件)

(一) 原告と被告内閣総理大臣との間において、同被告が平和祈念事業特別基金等に関する法律(平成六三年法律第六六号)に基づいて原告に対し平成四年六月二九日付けでした慰労金請求却下決定(総特第一六〇―〇〇二〇三六号)は無効であることを確認する。

(二) 原告と被告内閣総理大臣との間において、同被告が平和祈念事業特別基金等に関する法律(昭和六三年法律第六六号)に基づいて原告に対し平成四年六月二九日付けでした慰労品請求却下決定(平特却第〇〇〇〇三六号)は無効であることを確認する。

二  平成四年(行ウ)第三二号事件

被告国は原告に対し一〇〇〇万円及びこれに対する平成四年一一月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  請求の類型(訴訟物)

本各事件は、第二次大戦中に日本軍に従軍し、戦後旧ソヴィエト社会主義共和国連邦(以下「旧ソ連」という。)に捕虜として連行・抑留され、昭和二七年のサンフランシスコ平和条約により日本国籍を喪失した本各事件原告(以下「原告」という。)が

1  恩給法(大正一二年法律第四八号)の規定に基づいて平成五年(行ウ)第二五号事件被告総務庁恩給局長(以下「被告恩給局長」という。)に対してした旧軍人普通恩給請求が同被告によって日本国籍喪失を理由に棄却され、また平和祈念事業特別基金等に関する法律(昭和六三年法律第六六号。以下「平和祈念事業法」という。)の規定に基づいて平成四年(行ウ)第三二号事件被告内閣総理大臣(以下「被告総理大臣」という。)に対してした慰労金請求及び慰労品請求が同被告によって同じ理由により却下されたとし、恩給法及び平和祈念事業法の日本国籍を持つことを支給等の要件とする規定は原告のように自己の意思に基づかない国籍喪失の場合には適用がないと主張し、仮にそのような解釈が採用できないとすれば国籍を要件とするとの各規定が憲法違反ないしは国際人権規約違反であるとして(一)主位的請求として平成五年(行ウ)第二五号事件において被告恩給局長に対し、同被告が原告に対してした旧軍人普通恩給請求棄却処分の取消し、(二)その予備的請求として平成四年(行ウ)第三二号事件において被告総理大臣に対し、同被告が原告に対してした慰労金請求却下決定及び慰労品請求却下決定の各無効確認を

2  平成四年(行ウ)第三二号事件において、旧ソ連による強制連行・抑留によって精神的損害を被ったとして、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権、憲法二九条三項に基づく損失補償請求権、立法不作為に基づく損害賠償請求権を根拠として平成四年(行ウ)第三二号事件被告国(以下「被告国」という。)に対し慰謝料一〇〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を

それぞれ求めている事案である。

二  前提事実(確定の根拠は末尾に示す。)

1  原告の経歴

原告は大正一四年一〇月一日に朝鮮京畿道水原郡烏山面烏山里三四五(現大韓民国京畿道華城郡烏山邑)で出生した。当時、朝鮮が日本の植民地であったことから原告は出生により日本国籍を取得した。

原告は昭和一八年四月に京城第一陸軍志願兵訓練所に入所し、同年一二月ころ日本国政府により召集され、昭和一九年一月一〇日に満州国佳木斯において三浦部隊佐久間中隊に入隊した。その後、原告は昭和一九年七月ころ関東軍独立守備隊歩兵第二四大隊に配属され、当時の満州国富錦県五頂山付近で軍務に就いた。原告は昭和二〇年八月一五日の終戦時、独立歩兵第二六六大隊に所属していたが、同月一六日に同大隊が満州国富錦県方正において旧ソ連軍に武装解除されたことに伴い、旧ソ連軍に捕虜として連行、抑留された。

その後、原告は、昭和二〇年九月ころから昭和二八年八月ころまでの間、ハバロフスク、イルクーツク、タイシェット、そして再度ハバロフスクの各捕虜収容所に抑留された後、昭和二八年一二月一日に東舞鶴港に到着して復員した。

原告は昭和二七年四月二八日に日本国籍を喪失し、国籍が現在大韓民国であるが、日本政府から永住許可を受けている(争いのない事実、<証拠略>)。

2  在日韓国人に対する補償の現状等

日本と韓国は昭和四〇年六月二二日に日韓請求権協定(以下「日韓協定」という。)に署名し、これが批准を経た後である同年一二月一八日に発効した。同協定二条一項は「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が一九五一年九月八日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条aに規定されるものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定し、同条三項は「二の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関してはいかなる主張もすることはできないものとする。」と規定している。

他方、同協定二条二項本文は「この条の規定は次のもの……に影響を及ぼすものではない。」とし、同二項aで「一方の締約国の国民で一九四七年八月一五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがある者(いわゆる在日韓国人)の財産、権利及び利益」と規定し、原告らいわゆる在日韓国人の有する「財産、権利及び利益」は同協定二条一項に規定する「完全かつ最終的に解決された」とする対象から除外された。

ところが、同協定二条二項aについて日本政府は「法律上の根拠に基づき財産的価値を認められる全ての種類の実体的権利」に限定されるので、国内法上の根拠を欠き実体的権利に該当しない部分は同協定により完全かつ最終的に解決されたとする。したがって、その適用範囲が国籍条項等により日本国民に限定されているようなものについては、在日韓国人に請求権がないので、国内法上の根拠を欠き同協定二条二項aに該当せず解決済としている(争いがない。)。

3  原告の恩給等の請求手続及び被告らの対応

(一) 原告は平成四年三月一二日に被告恩給局長に対し普通恩給請求をした。これに対し、被告恩給局長は平成四年一一月四日に原告に対し「原告は昭和二七年のサンフランシスコ平和条約の発効により日本国籍を喪失しており、これは恩給法九条一項三号に規定する普通恩給を受ける権利を失うべき事由に該当する。」との理由で請求を棄却する旨の処分をした(争いのない事実、<証拠略>)。

(二) 原告は平成五年四月七日に被告恩給局長に対し異議申立てをした。これに対し、同被告は平成五年五月二五日に原告の異議申立てを棄却する旨の決定をした(争いがない。)。

(三) 原告は平成五年八月二日に総務庁長官に対し審査請求をしたが、同長官は同請求に対し、平成五年一一月二日が経過するまでに裁決をしなかった(争いがない。)。

4  平和祈念事業法に基づく慰労金及び慰労品支給請求及び被告らの対応

(一) 原告は平成四年二月二四日に被告総理大臣に対し平和祈念事業法四四条に基づき慰労金の支給請求をした。これに対し、同被告は平成四年六月二九日に原告が日本国籍を有しないことを理由に請求を却下する旨の処分をした(争いがない。)。

(二) 原告は平成四年二月二四日に被告総理大臣に対し平和祈念事業法に基づき慰労品の支給請求をした。そこで、平和祈念事業特別基金理事長は平成四年六月二九日に原告に対し、原告が日本国籍を有しておらず慰労品贈呈の対象に該当しない旨を通知した(争いがない。)。

三  争点

1  本案前

(一) 原告の被告総理大臣に対する平成四年(行ウ)第三二号事件の各訴えは各請求が主観的予備的併合のものとして不適法か(争点1)。

(二) 原告の被告総理大臣に対する慰労品請求の「却下決定」の無効確認を求める訴えは不適法か。すなわち、平和祈念事業特別基金の理事長がした前記第二、二、4(二)の通知は行政処分か(争点2)。

2  本案

(一) 恩給法及び平和祈念事業法の各国籍条項(以下両法の国籍条項を併せて単に「本件国籍条項」という。)は自己の意思に基づかない国籍の喪失の場合にも適用されるか(争点3)。

(二) 本件国籍条項は合憲であるか。また国際人権規約に適合するか(争点4)。

(三) 被告国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求の当否(争点5)

(四) 被告国に対する憲法二九条三項に基づく損失補償請求の当否(争点6)

(五) 被告国に対する立法不作為を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求の当否(争点7)

第三争点に関する当事者の主張

一  争点1についての被告総理大臣の主張

原告は、被告総理大臣に対する各請求を、被告恩給局長に対する普通恩給請求棄却処分の取消請求の予備的請求としているから、被告総理大臣に対する各請求に係る訴えは不適法である。

二  争点2について

1  被告総理大臣の主張

平和祈念事業法四三条は、被告総理大臣が戦後強制抑留者又はその遺族に対し慰労品を贈ってこれらの人々を慰労するという国の方針を示したものにすぎず、これらの人々に慰労品「支給」請求権を生じさせるものではない。平和祈念事業特別基金理事長が平成四年六月二九日付けで原告に対してした通知は行政処分ではなく、その無効確認を求める本件訴えは不適法である。

2  原告の主張

平和祈念事業法四三条一項は一定の要件を充たした者に対し一定の金品を「贈呈」して支給することを定めている以上、同要件に該当する者に金品を支給することは行政庁の法的な義務であり、その支給を受けることは一定の要件を満たした者の法的な権利である。したがって、平和祈念事業特別基金の理事長名義で平成四年六月二九日付けでした前記通知は被告総理大臣の判断であり、行政処分である。

三  争点3について

1  原告の主張

(一) 恩給法の本件国籍条項は自己の意思に基づいて国籍を喪失した場合のみを意味する。

(1) 大正一二年四月一四日に制定(同年一〇月一日施行)された恩給法は、明治三二年に制定された国籍法を受けたものであるから、同法九条三項の規定(本件国籍条項)も同国籍法における国籍喪失概念を前提とし、これと不可分一体のものである。そして、同国籍法一八条、二〇条、二〇条の三の各規定からして、同国籍法における国籍の喪失事由はいずれも自己の意思に基づくものを意味するのである。

(2) 国の機関である厚生省援護局は昭和三七年一〇月二九日付けの通知(援護第三一八号厚生省援護局援護課長通知。以下「昭和三七年通知」という。)の中で、戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「遺族等援護法」という。)三一条の規定について「遺族等援護法三一条には『日本の国籍を失ったときは遺族年金又は遺族給与金を受ける権利が消滅する。』旨規定されているが、この規定は、個人の意志に関係なく国家間相互の条約等の一方的権力によって国籍を変更させられた場合(条約により当該地域の住民の意志により国籍を選択できるときを除く。)には適用されるべきではなく、個人の意志に基づく帰化等によって国籍を失った場合にのみ適用されるものと解する。」と明言した。

(3) 総理府恩給局の編集で昭和五四年七月に市販された『恩給相談ハンドブック』には、恩給局の回答として「年金恩給を受ける権利を有する者が、日本の国籍を喪失すれば、その恩給を受ける権利は消滅し、再び日本の国籍を取得したとしても、恩給を受ける権利は回復しません」とした上で、しかし、平和条約の発効により、本人の意思とは無関係に日本の国籍を喪失した韓国人等の場合には平和条約発効のときに遡って恩給が受けられるような特別の取扱いがなされる旨を特に記述している。

(4) 大正一二年の第四六回帝国議会における入江政府委員の答弁は、自己の意思に基づいて米国に帰化した者を念頭に置いたもので、原告の主張を支持するものであっても、被告恩給局長の主張の根拠とはならない。

(二) 先にも述べたとおり、原告は昭和二七年四月二八日に「自己の意思によらない国籍喪失」をしたが、これは恩給法九条一項三号にいう「国籍ヲ失ヒタルトキ」には該当しないから、同条項の適用上は欠格事由がなく、恩給受給権がある。したがって、被告恩給局長が平成四年一一月四日付けでした原告の旧軍人普通恩給請求を棄却した処分は取消しを免れない。

(三) 平和祈念事業法は恩給法と同様、戦後補償立法としての性格を有するから、平和祈念事業法四四条一項における「日本の国籍を有する者」とは昭和六三年八月一日において現に日本国籍を有する者のほか、かつて日本国籍を有していたが自己の意思とは無関係に国籍を剥奪扱いされた者を含む。

2  被告恩給局長の主張

恩給法の国籍条項は、本人の意思に基づくものであるかどうかを問わず、日本国籍を喪失した場合に一律に適用されるものである。

(一) 恩給法の国籍条項である同法九条一項三号は、何らの留保も付さず「国籍ヲ失ヒタルトキ」と規定しており、国籍喪失の理由を問題としていない。

(二) 恩給の給付をどのようにするかは立法政策上の問題であるから、国籍条項の解釈に当たっても、立法者の意思が最大限尊重されるべきものである。

大正一二年の恩給法の法案(政府提出議案)の帝国議会における審議時の内閣恩給局長入江政府委員の説明により、国籍条項の適用には国籍喪失の理由の如何を問わないものであることが明らかであるし、法律第一五五号の法案(政府提出議案)の国会における審議時の総理府恩給局長三橋政府委員の説明によっても、昭和二七年四月二八日のサンフランシスコ平和条約の発効に伴い日本国籍を喪失した台湾、朝鮮半島出身者で、戦傷病死した者に対しては恩給を給しないものとする趣旨と考えられる。

(三) 平成四年三月の衆議院予算委員会において、サンフランシスコ平和条約に伴う国籍喪失についての恩給法における解釈と昭和三七年通知における解釈との食い違い等について質疑があり、これを契機に昭和三七年通知の解釈の妥当性について検討を重ねた結果、単に「日本の国籍を失った」と規定されている遺族等援護法においてのみ別異の解釈・取扱いをしなければならない合理的理由が存在せず、昭和三七年通知の解釈には無理があるとの結論に至り、平成五年五月に昭和三七年通知を廃止したものである。

(四) 「恩給相談ハンドブック」中の原告指摘部分は、まずその前に国籍喪失その他の年金恩給の一般的権利消滅事由を列挙し、これに続けて「いったん国籍喪失により恩給を受ける権利を失いますと、その後再び日本の国籍を取得したとしても、恩給法にはそれに伴う復権規定が置かれていませんので、その権利は回復することはありません。」とあるもので、この後の「平和条約の発効により、本人の意思とは無関係に日本の国籍を喪失した韓国人等の場合」には「日本に帰化し」た者からの請求があった場合に特別な取扱いがなされたことがあることを記述したにとどまるものであって、一般的に国籍条項の適用から排除するような解釈ないし運用を行っていることを明示したものではない。

3  被告総理大臣の主張

平和祈念事業法の条文の文言からして、国籍喪失に関する本人の意思如何によって国籍条項の適用が左右されないことは明らかである。

四  争点4について

1  原告の主張

(一) 本件国籍条項は、憲法一四条に違反し無効であるから、原告は恩給法所定の恩給受給資格があり、原告の恩給請求を棄却した本件処分は取消しを免れない。

とりわけ、憲法九八条二項が採用した国際法調和性の原則の要請に基づいて「日本国が締結した条約」と調和するように憲法を解釈しなければならず、このように条約と同趣旨に解釈した以下の内容の憲法一四条の規定に反する本件国籍条項は無効である。本件におけるような恩給受給に関する国籍による差別が憲法一四条一項の文言上同条項で禁止される差別に含まれるか(憲法一四条の保護範囲内か)は明らかではないが、憲法一四条を経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「A規約」という。)二条二項、九条の各規定及び市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)二六条の規定の解釈内容のとおりのものと理解するべきである。

(1) B規約は批准した国家を法的に拘束する多国間条約である。日本は昭和五四年六月二一日に批准し、同年九月二一日にこれが発効したが、B規約四一条に基づく宣言をせず、第一選択議定書の批准もしていないが、定期的に報告書の提出を義務付けられ、これの審査を通じて監督を受けている。規約人権委員会の示す「見解」も含めてB規約は国内法の解釈基準すなわち国内における裁判規範として機能するものである。

(2) B規約二六条を国際慣習法となっている条約法に関するウィーン条約二七条、三一条一項、二項、三二条の規定、規約人権委員会の「見解」等に従って解釈すると、B規約二六条の「他の地位」には「国籍」が含まれるというべきである。そして、社会権の分野においてもB規約二六条の適用があり、規約人権委員会が「一般的意見」で明らかにしている「合理的かつ客観的な基準」に照らして「合法的な目的を達成するという目的で行われた」場合であって、かつ必要最小限度においてしかこれを制約することができない。

また、B規約二条一項が個人の権利・自由を原則として保障をしており、明示された極めて例外的な場合に限りその制約が許されるにすぎないから、最終的な挙証責任は制約を主張する国家の側にある。

(3) 本件国籍条項は憲法及びB規約二六条が禁止する「国籍」による社会権の分野における差別を行うものであって、これが「合理的かつ客観的な基準」に照らして「合法的な目的を達成するという目的で行われた」場合であって、かつ必要最小限度の制約であることを国(被告恩給局長及び被告総理大臣)が主張立証したものはない。したがって、少なくとも本件国籍条項は無効であって、同条項の定める他の要件を満たす原告は当然恩給法上の受給権を有するものである。

(二) 被告恩給局長は、B規約二六条の解釈に代え日本国でしか通用しない国内法(憲法を含む。)理論をもって臨み、ウィーン条約等の普遍的な解釈基準と方法によって解釈せず、本件国籍条項のB規約二六条適合性についてその要件と効果に関連して規約人権委員会が認めていない立法裁量論を過度に強調し、立法裁量論の根拠として財政的理由を挙げるが、これらの解釈姿勢及び解釈論はもはや国際的には通用しないものであり、現状の事実認識という点からみても全く時代錯誤的なものである。

(1) 条約の解釈方法は国際法上承認された普遍的な基準及び方法によるべきであり、その解釈の結果、条約の内容と憲法解釈とが矛盾するときは憲法等の国内法解釈を変更して可能な限り両者に矛盾がないようにするべきである。

国際人権規約をその解釈原則に則った厳密な解釈をせず、これが憲法の人権規定と「全く同じもの」であると決めつけ、保護が与えられるべき者に対し保護を与えないことは、国際人権規約違反になることはもとより、国際協調主義を定める憲法にも違反する。

(2) 個人通報に対する規約人権委員会の「見解」の判断の規準性は、規約の解釈に関する一般性、普遍性を有するものか、当該事案の個別性、特殊性が考慮されたものか、ということによって異なるのであり、具体的な検討や反論を全く行わずにすべての「見解」の判断が「具体的事案限りのもの」であるとするのは誤りである。

(3) B規約二六条の平等原則における合理性の有無の判断において、国際人権規約において社会権規約と自由権規約とが区別され、社会権規約上の権利自体が即時具体的な権利性を有するものではないことを考慮した解釈をすべきとする「見解」や「意見」はなく、規約において社会保障をどのようになすべきかという社会権規約上の権利自体の問題と社会保障をなすに当たって差別があってはならないとの問題とは厳然と区別されており、仮に差別が規約上の具体的な権利に関するものでなくとも、差別か否かの判断については極めて厳格な合理性が要求されている。

(4) 被告恩給局長らの規約の解釈に関する主張は、規約の解釈の枠組みに従った正当な解釈と言い得るものではない。B規約二六条に関する規約人権委員会の「見解」や「意見」等において立法の裁量を認めるべきようなものは一切存在しない。同被告らが挙げる「文化の発達の程度」「経済的・社会的条件」「国民生活の状況」等の要素は、現に日本人と同一の公務を行った外国人につき日本人と格差を設けるべきか否かの問題に影響を与えるものではなく、「国の財政事情」を理由とする差別に関して立法裁量が認められたり、差別が正当化されることもない。したがって、外国人に対しても日本人と同一の恩給が支給されるべきであって、被告らの主張するように「外国人に対する給付の方法、要件、程度について様々な方法があり得る。」とすることは前提に誤りがある。

(5) 本件において本件国籍条項のみを無効とするか、救済に必要な範囲で「自己の意思に基づかない国籍喪失は含まれない」との限定解釈を行い、当該外国人に対する差別を解消することは立法府の権限を侵害するものではない。

(三) 恩給制度は公務員制度の一環としての意味を持つこと、恩給法が社会保障的性格をも有することは、いずれもB規約二六条の「合理的かつ客観的な基準」に照らし国籍による区別を正当化し得るものではない。

(1) 恩給制度の趣旨及び目的が、公務員と国との特別な関係に基づいて国が保護を与えることにあるとしても、恩給法が公務員の退職後に恩給を支給する根拠は「国籍」にあるのではなく、過去の「公務(軍務)」にあるから、公務員と国との「特別な関係」が問題となるのは在職中だけであって、退職後も「特別な関係」の存在を要求することには全く理由がない。

さらに被告恩給局長らの主張において、日本国籍を喪失した者から恩給受給権を剥奪することによって何故「行政の円滑な遂行」が保障されるのか、その論理的関連性が不明であり、仮に何らかの関連性があったとしても、「合理的かつ客観的な基準」に基づく審査の下では「行政の円滑な遂行」などという「行政上の便宜」は正当理由とはなり得ないし、「行政の円滑な遂行が阻害されるおそれ」などという抽象的な可能性のみによって別異の取扱いを正当化し得ない。

(2) 恩給法の本来の趣旨は公務により失った経済上の取得能力の減損を国家が賠償する点にあるから、恩給の支給の根拠は「公務(軍務)」を行ったことにあり、「国籍」は恩給支給の本質的要件ではない。被告恩給局長らが主張するように、国が各人に対し所得を保障しもって生活の維持の援助をするという社会保障的側面があるとしても、これは副次的効果に過ぎず、国籍条項の合理性を基礎付けるものではない。

さらに、そもそも社会保障が帰属国の責任であるとの議論は現在では化石となった議論である。第二次世界大戦以後においては、ILO、国連における移住労働者に関する条約・決議や、EU諸国を中心とする多国間・二国間条約及びその判例法(特にEEC条約)などによって、社会保障を含む内外人平等取扱いの傾向が明確となっており、今日までの間に少なくとも一定期間在住した外国人については社会保障に関しても内国人と全く同様に取り扱うことが国際社会の共通理念としてほぼ確立されたということができる。

(3) 以上のとおり、被告恩給局長らの主張する正当理由はいずれも別異の取扱いの「合理性」の根拠とすることができず、恩給の支給に関し国籍による別異の取扱いをすることはB規約二六条で禁止された「差別」に該当し、本件国籍条項は同条に違反し無効である。

(四) 昭和二八年の恩給法復活の際に昭和二七年に成立したサンフランシスコ平和条約で韓国住民の補償問題に関する取極めが規定されていたことが考慮されたこと、日韓協定二条一項の規定により旧軍人の普通恩給請求権の問題が完全かつ最終的に解決済みであることとして、本件国籍条項が憲法一四条一項、B規約二六条に違反しないとする被告恩給局長らの主張は失当である。

(1) 恩給法は大正一二年にその当時の立法事実及び立法意思に基づいて国籍条項を持って成立し、これが一旦廃止された後、昭和二八年に国籍条項を含め「復活」したものであって、大正一二年の時点では、サンフランシスコ平和条約及び日韓協定の各締結という事実を予見することはできず、これらが国籍条項の合理性に影響を及ぼすことはありえない。

(2) 日韓協定二条一項の規定により日韓協定の締結それ自体が国籍条項の合理性を根拠づけるものであるとの被告恩給局長らの主張は、遺族等援護法に関する大阪地裁平成七年一〇月一一日判決(平成六年(行ウ)第二六号)において明確に否定されているところであって失当である。

(五) 一般に法制度が作り出している違憲状態を除去する方法は多くの場合複数存在するから、その選択権限が立法府に属するとし裁判所がその選択を先取りすることは許されないとの考え方を強調すると、多くの場合司法救済を与えることができず、裁判所の違憲立法審査権がほとんど無意味になる。

そこで、当該法令が違憲である場合に司法的救済が与えられるか、または立法府の裁量による法改正等を待つしかないかについては、差別の内容、被差別者の実定法上の地位、差別を解消する方法と立法府の権限の関係等を個別的に判断するよりほかにない。

(1) 恩給制度は公務員が公務を執行するため失った経済上の取得能力を補う目的で国が金銭給付を行なうものであり、原告は、日本人と同様、旧日本帝国軍人として戦争に参加し、シベリアに抑留されたにもかかわらず、在日韓国人である(日本国籍がない。)ため恩給が支給されない差別を受けている。

(2) 恩給法上、恩給の受給主体は「公務員」であり、国籍条項は権利喪失事由にすぎないから、原告は恩給を請求できる実体法上の手続的権利を有するが、国籍条項によって支給が拒否されるという法文構造となっている。

(3) 原告は旧日本帝国軍人として軍務に服し、シベリアに抑留され日本へ帰還してきたのであるから、恩給が公務を執行するため失った経済上の取得能力に対する補償である以上、平等を回復するためには、原告に日本人と同じ恩給を支給することを要する。

本件において本件国籍条項が積極的な差別条項として違憲無効である以上、これがないものと取り扱っても、裁判所は何ら立法府の権限を侵すことにはならない。

2  被告恩給局長及び被告総理大臣の主張

(一) 恩給法の国籍条項は合理的根拠に基づく立法政策の範囲内のものであって、憲法一四条に違反するものではない。

(1) 恩給制度の趣旨及び目的は、国が公務員との特別な関係に基づいて公務員の退職後に相応の保護を与えることにより公務員の忠実な義務の遂行を図り、行政の円滑な遂行をも保障するという、いわば公務員制度の一環としての意義を有するところにあり、恩給制度において国籍喪失を失権事由の一つに定めたのは、国家の所属員として資格を失った者に対しては、恩給制度の処遇の対象としないという政策に基づいているものである。

(2) また、恩給は国が各人に対して所得を保障し、もって生活の維持の援助をするという面を持つが、現在の世界の実情においては、各国がそれぞれの国民に対し生活の保障ないし援助をする責任があるとするのが国際間の基本原理となっている。そこで、恩給法は、立法政策上、恩給を受けることができる者を国民として我が国が保護すべき者に限るとしたものである。

(3) さらに、旧軍人等に対しいかなる給付をすべきかは、本来立法政策の問題である。

旧軍人に対する普通恩給制度は昭和二一年勅令第六八号により廃止され、昭和二八年法律第一五五号により復活したものであるが、その復活の経緯は、旧軍人等の恩給を復元すべきであるとの恩給法特例審議会の建議の趣旨を尊重し、国家財政の現状、国民感情その他諸般の事情を考慮しつつ、予算の許す範囲内で、現在日本国籍を有する旧軍人及び旧軍属並びにその遺族に恩給を給することとしたものである。そして、旧韓国、台湾人で旧日本軍の軍人軍属であった者については、旧軍人等に対する普通恩給等の復活の際、その前年に成立したサンフランシスコ平和条約で韓国住民等の補償問題に関する取極めが規定されたことも考慮された。

すなわち、韓国人の財産・請求権の問題は、前提事実2記載の経過をたどった後、昭和四〇年六月に成立した日韓協定の成立により完全かつ最終的に解決した。なお、同協定第二条2aにいう韓国人の「財産、権利及び利益」とは「法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利」に限定されている。そして、旧軍人に対する普通恩給は、昭和二八年に復活された際、日本国籍を有する者にだけ普通恩給を給するとされているから、およそ日本国籍を有しない旧軍人の普通恩給は国内法上の根拠を欠き右の「実体的権利」には該当しない。

そうすると、この点からみても本件国籍条項は原告に対する関係において憲法一四条一項(B規約二六条)に違反しない。

(二) 国際人権規約における各規定は以下のとおりのものと解釈されるから、本件国籍条項は同規約にも反するものではない。

(1) A規約二条二項及びB規約二六条は不合理な差別的取扱いを禁止するもので、合理的な差異を設けることまで排除しているものではない。そして、A規約二条二項、九条及びB規約二六条に定める「権利」の実現に関してA規約二条一項及びB規約二条三項は、この規約の実体条項に定める「権利」が国内の立法処置等を待って初めて個人の権利ないし利益として具体化されるものとしている。

恩給法の国籍条項は前述のとおり、合理的理由に基づく立法政策の範囲内のものであり、現行の制度に合理的理由があるのであるから、A規約二条、九条及びB規約二六条に反するものではない。

(2) 原告は、B規約の解釈について、国際人権規約は国際法の原則によって解釈すべきであり、特に規約人権委員会の解釈を最高のものとした上で、B規約が国内的効力がある以上、我が国の裁判所も規約人権委員会の判断に従うべきであり、かつ国際法上は、憲法を含めて国内法の解釈を理由として条約の適用を拒めないとして、憲法一四条一項とB規約二六条とは同じ趣旨を規定していると主張するが、不当である。

ア ウィーン条約はB規約には適用がなく、仮にこれがあるとしても、ウィーン条約三一条ないし三三条は条約の解釈についての当然の事理を規定したものにすぎない。

イ 同条約二七条の規定は、有効に締結され既に効力を有する条約について、当事国が自国の国内法を根拠としてその条約の義務を免れることは国際法上は許されないという国際法上の原則を定めたものであり、条約の解釈と国内法の関係について定めたものではない。

ウ ウィーン条約三一条一項の一般的解釈原則及びB規約二条一項が、B規約の趣旨及び目的が国家に対する個人の保護にあるとしていることから当然に、個人の権利自由にとって広く有利に解釈されなければならないということにはならない。B規約二六条は合理的な理由のある差別は許しているものと解される。

(3) 規約人権委員会はB規約の締約国の規約の履行状況に関する報告を検討する機関であり、そのほか、適当と認める「意見」を締約国に送付したり、経済社会理事会に送付することができるが、これらの意見は締約国に対し法的拘束力を持たない。我が国は、A規約とB規約とを批准したが、選択議定書を批准しておらず、またB規約四一条に基づく規約人権委員会の審議権限の受諾宣言をしていないから、権利の実現のためにとった措置等に関しての我が国の定期報告義務があるのみである。したがって、選択議定書やB規約四一条に基づく規約人権委員会の意見は我が国に対して法的拘束力が問題となる余地はない。

定期報告書に関する規約人権委員会の「意見」は「当時国との建設的な対話」のためのものであって、報告した国を法的に拘束するものではない。

さらに、個人の通報に対する規約人権委員会の意見は、選択議定書に基づく個人からの通報に対し、当該通報の内容たる具体的事例について示されるものであり、B規約自体の有権的解釈といい得るものでないことはもとより、その内容も通報の対象とされた具体的事案限りのものであって、B規約四〇条四項の「意見」のような一般性をもたず、関係国に対する法的拘束力もないのである。

(4) 我が国の裁判所がB規約二六条を適用する際の解釈に関する原告の主張は正当ではない。

条約の解釈権者は、第一義的には、締約国が条約の解釈適用権限を有するから、我が国の裁判所が国際人権規約を憲法の人権規定と同じ趣旨であると解したとしても、それ自体何ら法的問題はない。

B規約二六条の当該文言に沿って解釈すべきことは法解釈上当然のことであり、ウィーン条約三一条一項に準拠するまでもない。

ア 憲法一四条一項とB規約二条一項、二六条を比較すると、憲法一四条一項は外国人にも適用があり、社会権にも及ぶものであるから、これらの点で両者の趣旨は異なるものではない。

イ 憲法一四条一項は絶対的平等を保障するものではなく、相対的・比例的な意味での平等を保障するものであると解されるが、その判断基準については、同項の規定の文理から一義的に導き出すことができない。

憲法一四条一項は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り同規定に反するものではない。

B規約二六条はあらゆる差別をすべて禁止する趣旨でなく、合理的な差別は許されると解されるのであるが、そのこと自体は憲法一四条一項と同様、B規約二六条の文理から一義的に解釈することはできない。したがって、合理的差別といえるか否かの判断基準は、B規約二六条の解釈問題であり、規約人権委員会の「意見」はその一つの解釈を示したものにほかならず、我が国の裁判所を拘束するものではない。

ウ 社会権について規定した憲法二五条の規定は国権の作用に対し一定の目的を設定し、その実現のための積極的な発動を期待するという性質のものであって、その具体的内容はその時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また多方面にわたる複雑多様なしかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とする。したがって、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するに適さないから、憲法一四条一項違反か否かについても立法府の広い裁量を認めて、何らの合理性のない不当なものといえるかどうかを判断基準とするべきである。

他方、A規約二条、九条の規定からすると、同規約は、締約国において社会保障についての権利が国の社会政策により保護されるに値するものであることを確認し、右権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣明したにすぎず、個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めてはいない。この点でB規約上の権利とは明らかに異なった取扱いをしているのである。したがって、A規約上の権利は、もともと各国の立法政策によることが許容されているのであるから、A規約と併せて審議、採択されたB規約二六条の平等原則における合理性の有無の判断基準においても、このことを考慮した解釈をすべきである。

このようにA規約及びB規約自体がその保障の程度・方法において異なった規定の仕方をしているのであるから、我が国の裁判所が憲法一四条の解釈において、権利の性質等をも考慮して合理性の有無を判断しているのと同趣旨と考えられる。

エ 仮に外国人に何らかの給付をすべきとした場合であっても、具体的な要件、給付の程度等は、本来立法府がこれらを決定すべきものである。これに対し、例えば、裁判所が本件国籍条項を無効とした場合、裁判所の採れる態度は、恩給法全体を無効とし日本人に対する給付も廃止するか、国籍条項を無効にして当該外国人に対し日本人と全く同一額の給付をすることしか選択肢がなく、外国人に対する給付の方法、要件、程度について様々な方法があり得る場合に、右のような二者択一的な結果となるような解釈をすることは、本来立法府がもつ前記の裁量権を侵すことになりかねない。

したがって、単に恩給の給付の有無のほか、外国人に対する給付の要件、内容、程度の決定についても立法府に裁量があると考えられる以上、B規約二六条の平等原則の適用についても立法府の裁量を認めるべきことは明らかである。

3  被告総理大臣の主張

日本政府は遺族等援護法及び「引揚者等に対する特別給付金の支給に関する法律」(昭和四二年法律第一一四号)の制定によって戦後処理に関する措置を一切終了したものとしたが、昭和五四年からの従軍看護婦に対する慰労給付金等の支給により見直しの議論が高まったことなどから、昭和六三年に平和祈念事業法を制定し、これに伴い平和祈念事業特別基金が設立された。

平和祈念事業法は、恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者に慰労の念を示すことを内容とする立法であって(同法三条等)、国家補償を行うものではなく、遺族等援護法等とは立法趣旨を異にするものであるが、戦後処理の一環となることから、四四条一項において本件国籍条項がもうけられたにすぎない。

以上のような立法経過、目的、趣旨からして、慰労金品の贈呈対象者を日本国籍を有する者に限定した平和祈念事業法の国籍条項は合理的なものであり、憲法一四条、A規約及びB規約の各規定に反するものではない。

五  争点5について

1  原告の主張

(一) 特別な社会的接触の関係に入った当事者間においては、当事者の一方又は双方は当該法律関係の付随的義務として相手方に対し信義則上安全配慮義務が発生する。国と国家公務員との関係では、被告国は、公務員の公務遂行にあたって当該公務員の生命、健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務がある。戦争において、被告国は、殊に徴兵制によって軍人の自由意思を無視して戦闘行為に駆り立てた場合には当該軍人に対し高度の安全配慮義務を負うというべきである。

被告国は、今回の敗戦にあたりポツダム宣言を受諾して軍人の戦争遂行という任務を解いたのであるから、安全配慮義務の一環として、それまでの軍人としての特別権力関係の清算のためにも、原告ら軍人の生命、身体の安全を図り、できるだけ速やかに本国に帰還させるべき義務を負っていたものである。

(二) 被告国は、安全配慮義務を怠り、敗戦に当たって原告らを帰還させることが必ずしも不可能ではなかったのに、原告らを旧ソ連の強制抑留下に置かせた。原告は、このような長期の強制抑留によりその生命が危険にさらされ、過酷な強制労働、思想教育等により、心身に対し重大な侵害行為を受け、さらには身体を故障し、満足に仕事に就くこともできないという損害を受けた。これによる損害は精神的損害のみでも一〇〇〇万円を下回らない。

2  被告国の主張

(一) 安全配慮義務とはある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務をいうが、その義務が認められる法律関係が一様でない上、事故の種類・態様も千差万別であって、義務の具体的な内容はそれが問題となる当該具体的な状況によって異なるものである。したがって、義務違反を主張し損害賠償請求をする者は、義務の内容を具体的に特定し、かつ義務違反に該当する具体的な事実を主張立証しなければならない。

しかし、本件では原告は被告国の安全配慮義務の内容を具体的に特定し、かつ義務違反に該当する事実を具体的に主張していない。

(二) 原告が旧日本軍に入隊した昭和一九年一月当時の大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)下においては、兵士としての軍事勤務関係は公法上の特別権力関係にあり、国は公務員に対し一定の範囲において包括的な権力を有し、その権力の及ぶ範囲においては不特定な作為を命令し、これを強制し得る権利を有していた。そして、この「一定の範囲」は、当該特別権力関係が認められる法律原因が設定された目的から判断され、軍事勤務関係においては、軍人が国防のために存在し、その本質は戦闘員であって戦闘に従事させることがその目的である。

したがって、軍人が戦争に従事することはその本質であって、戦争において生命、身体の危険に直面することが当然の前提になっていたのであるから、軍人が戦争において死傷することは、特別権力関係により生じた適法な命令の結果であり、安全配慮義務の結果とは言えない。

(三) 敗戦時において日本国は連合国に無条件降伏し、旧日本軍も実質的に解体されており、しかも当時の連合国であった旧ソ連の行為により原告が強制抑留されたのであるから、このような事態について被告国が安全配慮義務を負うものでない。

(四) 我が国は無条件降伏により講和条約発効の日まで国家主権を制限され、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のため必要と認める措置を採る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれることになったものであるから、我が国の政府が旧ソ連による日本軍人の長期抑留及び強制労働を解消しようと欲しても、これを実現するために有効な手段は存在しなかったものであり、被告国に安全配慮義務違反行為があったとはいえない。

六  争点6について

1  原告の主張

(一) 明治憲法上明文の補償規定は存しないが、同二七条は「日本臣民ハ其ノ所有権を侵サルルコトナシ」「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ拠ル」と規定しており、これは近代自由国家における私有財産制の保障と財産権の不可侵を定めたものであり、公的収用の条件として補償が必要であったという立場を明らかにしたものである。したがって、明治憲法下においても、現行憲法二九条三項の類推適用ないし同項の解釈を基準として公的収用に対し国の補償義務は存在していた。

(二) 歴史的にも比較法的にも財産権の不可侵と損失補償とは不可分一体のものであり、損失補償は具体的な財産権の実質的な保障を裏付けるものであって、正当な補償なくして財産権の収用をすることは現行憲法の許容しないところというべきであるから、法令上補償規定のない場合であっても、直接憲法二九条三項に基づき具体的な損失補償を請求することができると解すべきである。

(三) 憲法二九条三項は、財産権の公共収用の場合等特別の犠牲が生じた場合にはその犠牲につき損失補償をするものと規定し、憲法一三条後段は、生命、身体、自由、幸福追求の権利は国政の上で最大の尊重を必要とすると規定しているが、財産上特別の犠牲が課せられた場合と生命、身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで後者を不利に扱うことが許されるとする合理的理由は全くない。したがって、生命、身体の自由等に特別の犠牲が発生した場合には、憲法二九条三項の類推適用により損失補償がなされるべきである。

(四) 原告は八年にわたる強制抑留によりその生命が危険にさらされ、過酷な強制労働、思想教育等により、身体の自由、思想信条の自由等に重大な侵害行為を受け、身体の故障により満足に仕事に就くこともできなかった。これらは被告国の戦争遂行行為により生じたものであり特別の犠牲にあたる。これらの犠牲に基づく損害は原告の精神的損害のみを取り上げても一〇〇〇万円を下回ることはない。

2  被告国の主張

(一) 憲法二九条三項は昭和二一年一一月三日に公布され、昭和二二年五月三日から施行されたものであるから、本件について憲法二九条三項の規定を適用ないし類推適用する余地はなく、その解釈を明治憲法下での実定法の解釈の手掛かりとすることもできない。

明治憲法は公益のためにする財産権の制限に対し一般的に補償を与えるべきであるか否かに関する規定を欠いていたことから、明治憲法の下では、公益のためにする処分は法律をもって定められるべきことを要件とするにとどまり、法律をもってすればいかなる定めも不可能ではなく、所有権の侵害に対し補償を与えるか否かは法律によっていかようにも定めることができると解されていた。すなわち、国の適法な公権力の行使による財産権についての損失補償請求権は法律に基づいて初めて生ずるものとされていた。そして、訴訟制度上も「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セズ」(行政裁判法一六条)と定められていたことから、補償を認める法律があり、かつこれに基づき通常裁判所に出訴できると規定されていた場合に初めて通常裁判所への出訴が許されていたのである。

明治憲法下においては、国の公法上の行為のうち権力的作用に基づく違法行為によって生じた個人の損害については私法が適用されず、国は責任を負わないという国家無責任(無答責)の法理が妥当していたのである。

このように、明治憲法下においては、権力的作用に基づく違法行為に対してさえ国は賠償責任を負わないものとされていたことからすると、適法行為による損失補償責任を明文の規定もないのに認めるのは困難である。したがって、明治憲法から直接の損失補償請求権が生ずると解することはできない。

(二) 一般に、憲法は国法の形式及び内容についての根本を定めることを主要な任務とし、国法体系における授権関係という点において根源的な地位を占め、憲法以下のすべての法令を直接又は間接の授権に基づいて成立させ、さらに他の国家行為の内容を規律し、それに方向を与えその限界を画し、そして国法体系のうちで最高の段階に位し、最も強い形式的効力を有するという特質を有するものであり、現行憲法もこのような特質を具有している。

このような憲法法規の特質からみると、憲法二九条三項についてのみ立法を待たず、直接実体法上の請求権が発生すると解することは極めて困難である。

(三) 憲法二九条三項は、財産権の不可侵を定めた同条一項、財産権の内容の立法による制約を定めた同条二項の規定を前提とした上で、公共の福祉のために財産権の剥奪・制限等を行った場合に正当な補償をすることが定められたものであるが、憲法は公共の福祉のために生命・身体に対する侵害をすることを予定していないから、そもそも生命・身体の損害に対する補償は全く予定していない。憲法二九条三項を原告の主張するように解すると、国は正当な補償をして人間の生命・身体を「収用」することになるが、このような解釈は憲法一三条、二五条と著しく整合性を欠き、不当なものであることが明らかである。生命・身体に対する侵害が生じたことによる補償は、本来憲法二九条三項とは全く無関係のものというべきであり、このように全く無関係なものについて、生命・身体は財産以上に貴重なものであるといった論理により類推解釈ないしもちろん解釈をすることは当を得ない。

(四) 本件において、原告が主張する損失は当時日本国民の構成員として陸軍軍人であったことに起因して被った損失というべきであり、戦争犠牲ないし戦争損害の一種である。そして、戦争犠牲ないし戦争損害は、現行憲法下での損失補償における「特別の犠牲」に当たらず、憲法二九条三項の全く予想しないところであって、同条の適用の余地がなく、右のような戦争犠牲ないし戦争損害に対しては、単に政策的見地からの配慮が考えられるにすぎず、憲法二九条三項に基づく請求ができないものと解すべきである。

七  争点7について

1  原告の主張

(一) 国会は原告のような在日韓国・朝鮮人についても日本人と同様に、恩給法に基づく旧軍人軍属として恩給を受給する資格及び平和祈念事業法に基づく慰労品及び慰労金支給請求権を認める内容の立法をすべき義務があったというべきである。

すなわち、国会は旧軍人軍属あるいは戦後強制抑留者に対し恩給法及び平和祈念事業法を定め、特に本件国籍条項を設け、日本国籍を有しない者には受給資格等を認めなかった。しかし、これらの立法は、戦前日本帝国主義の植民地支配によって「日本人」とされ、旧日本軍の軍人軍属として徴兵徴用され、戦後もシベリア等に抑留された原告のような在日韓国・朝鮮人を含む軍人らに対する戦後補償の一環として行われたものであるから、恩給法等に基づく受給資格は、旧日本軍の軍人軍属として在職したこと、あるいは戦後も強制的に抑留されたことにあるものであり、したがって、単に「国籍」を理由に受給資格を認めず戦後補償を拒否することは、憲法一四条、A規約二条、B規約二六条に規定されている内外人平等の原則に照らし許されない。

したがって、本件国籍条項の解釈もしくは同条項が違憲(違法)無効であることにより原告に恩給等の受給権があり、かつ原告ら旧植民地出身者に対しても日本人と全く同一の内容の補償が行われるべきだったのであるから、国会の作為義務も一義的に明確であり、国会は恩給法等の国籍条項による明らかな差別状態を解消するため本件国籍条項を削除するか又は旧植民地出身者に対して恩給法等と同一の給付を内容とする補償立法をなすべき義務が存したというべきである。

(二) 前項の補償立法をなすべき義務は、第一次的には、日本人に対する補償立法が制定されたとき、すなわち、恩給法が復活した昭和二八年八月に、第二次的には、日韓協定の締結により原告ら旧植民地出身者に対する恩給支給の可能性が閉ざされた昭和四〇年六月二二日まで、第三次的には、日本が国際人権(自由権)規約を批准し、これが国内で発効した昭和五四年九月二一日に発生していたものである。

(三) このように国会(国会議員)ひいては被告国は、原告ら在日韓国・朝鮮人に対する恩給等相当の補償立法を当然しなければならない義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、戦後五〇年の長期間にわたりこのような「差別」(違法状態)を放置してきたのであり、その結果、原告に対し恩給相当の経済的損害及び多大な精神的損害を与えてきた。原告の右の損害は精神的損害に限っても一〇〇〇万円を下回ることはない。

2  被告国の主張

国会がいつ、いかなる立法をすべきか、あるいは立法しないかの判断は国会の裁量事項に属するのであって、国会議員の立法不作為が国家賠償法一条一項の規定の適用上違法であると評価されるのは、それが憲法の一義的な文言に反している場合に限られる。

本件において、原告らが被ったと主張する損害は、一種の戦争損害であって、これに対する戦後補償は憲法の全く予定していないところであり、憲法の明文上はもとより憲法解釈上もこのような補償立法義務が存在するとはいえず、戦争損害に対する補償のため適宜の立法措置を講ずるかどうかの判断は国会の裁量的権限に委ねられているものである。そして、原告を含む在日韓国・朝鮮人について戦後補償の立法を行うことを命ずる規定は存せず、在日韓国・朝鮮人について戦後補償を行うかどうかは、極めて高度な政策的判断を要する立法上の事項であるから、立法の不作為が違法となる場合に当たる余地はなく、それが違法の評価を受けるものではない。

第四争点に対する当裁判所の判断

一  争点1(被告総理大臣に対する各訴えは主観的予備的併合として不適法か。)について

1  一般に、訴えの主観的予備的併合は、予備的被告が応訴上不利益、不安定な地位に置かれることになることから原則として不適法と解すべきであるが(最高裁昭和四三年三月八日判決・民集二二巻三号五五一頁)、請求相互の関係や予備的被告と主位的被告との関係からみて、予備的請求の被告が応訴上不当に不利益、不安定な立場に立たされるといえない場合には、このような併合形態も許容されると解するのが相当である。そして、許容される場合としては、被告が実質的に同一である場合(例えば、被告の一方が国又は公共団体で他方がその行政機関である場合等)、あるいは、請求相互間の関係から、予備的被告が応訴上不当に不利益、不安定な立場に立たされるといえない場合(例えば、主位的に土地収用委員会を被告として収用裁決の取消しを求め、予備的に起業者を被告として損失補償金の増額を求める場合等)に限られるというべきである。

2  ところで、恩給法(大正一二年法律第四八号)は「公務員及其ノ遺族ハ本法ノ定ムル所ニ依リ恩給ヲ受クル権利ヲ有スル」(一条)、「本法ニ於テ恩給トハ普通恩給、増加恩給、傷病賜金、一時恩給、扶助料及一時扶助料を謂フ」(二条一項)、「年金タル恩給ヲ受クルノ権利ヲ有スル者左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ其ノ権利消滅ス 一死亡シタルトキ 二 死刑又ハ無期若ハ三年ヲ超ユル懲役若ハ禁錮ノ刑ニ処セラレタルトキ 三 国籍ヲ失ヒタルトキ」(九条)、「裁定庁ハ年金タル恩給ヲ受クルノ権利ヲ有スル者ニ付其ノ権利ノ存否ヲ調査スヘシ」(九条ノ二)、「恩給ヲ受クルノ権利ハ総務庁ノ内部部局トシテ置カルル局ニシテ恩給ニ関スル事務ヲ所掌スルモノノ局長之ヲ裁定ス」(一二条)などと定めている。

また、平和祈念事業法は「この法律は、旧軍人軍属であって年金たる恩給又は旧軍人軍属としての在職に関連する年金たる給付を受ける権利を有しない者、戦後強制抑留者、今次の大戦の終戦に伴い本邦以外の地域から引き揚げた者等(以下「関係者」という。)の戦争犠牲による労苦について国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉の念を示す事業を行う平和祈念事業特別基金の制度を確立し、及び戦後強制抑留者に対する慰労品の贈呈等を行うことに関し必要な事項を規定するものとする。」(一条)、「この法律において『戦後強制抑留者』とは、昭和二〇年八月九日以来の戦争の結果、同年九月二日以後ソヴィエト社会主義共和国連邦又はモンゴル人民共和国の地域において強制抑留された者で本邦に帰還したものをいう。」(二条)、「内閣総理大臣は、戦後強制抑留者又はその遺族に総理府令で定める品を贈ることによりこれらの者を慰労するものとする。」(四三条一項)、「内閣総理大臣は、前章の規定により基金が設立されたときは、基金に前項の慰労の事務を行わせるものとする。」(四三条二項)、「戦後強制抑留者又は昭和六三年七月三一日以前に死亡した戦後強制抑留者(以下「死亡者」という。)の遺族で、同年八月一日において日本の国籍を有するものには、前条第一項の慰労品を贈るほか、慰労金を支給する。ただし、同日において次の各号に掲げる給付を受ける権利を有する者若しくは同日前においてその権利を有した者又はこれらの者の遺族(その権利を有する者又はその権利を有した者が死亡者の遺族であるときは、当該死亡者の他の遺族を含む。)については、この限りではない。一 恩給法(大正一二年法律第四八号)その他の恩給に関する法令の規定による年金たる恩給(恩給法の一部を改正する法律《昭和二八年法律第一五五号》附則二二条〔旧軍人、旧準軍人及び旧軍属の公務傷病恩給の特例〕第一項ただし書の規定による傷病賜金を含む。)で、当該年金たる恩給の給与事由が第二条に規定する地域において強制抑留されていた期間(以下この項において「抑留期間」という。)内に負傷し、若しくは疾病にかかったことにより生じたもの又は抑留期間が当該年金たる恩給の基礎在職年に算入されているもの」(四四条一項)、「慰労金の支給を受ける権利の認定はこれを受けようとする者の請求に基づいて、内閣総理大臣が行う。」(四四条二項)、「前項の請求は総理府令で定めるところにより昭和六八年三月三一日(括弧内記載は省略)までに行わなければならない。」(四四条三項)、「前項の期間内に慰労金の支給を請求しなかった者には慰労金は、支給しない。」(四四条四項)などと定めている。

3  本件においては、原告が恩給法の規定に基づいて被告恩給局長に対してした旧軍人普通恩給請求が同被告によって日本国籍喪失を理由に棄却されたことを不服とし、争点3及び同4に関する原告の主張を根拠として被告恩給局長の棄却処分の取消を求め、被告恩給局長に対する請求が認容されない場合に、争点3及び同4に関する原告の主張を根拠として平和祈念事業法の規定に基づいて被告総理大臣に対してした慰労金請求の却下処分及び慰労品請求の「却下」処分の無効確認を求めているものである。

これに対し、被告総理大臣は争点3及び同4に関する原告の主張を争い反論を展開しているほか、慰労品請求に対しては行政処分がないとして請求にかかる訴えの適法性を争い(平和祈念事業法の前記規定では、慰労品については内閣総理大臣がこれを「贈る」との文言が用いられている一方、慰労金についてはこれを「支給」するとされ、慰労品と慰労金が明らかに異なる表現をもって区別されているほか、慰労金は請求によって支給すると定められているが、慰労品についてはそのような規定がないことから、処分性の有無はそれ自体一個の問題である。)、また平和祈念事業法の立法趣旨、目的等からしてこれが恩給法のそれと同列に論じることができないなどの主張立証を行っているのである。

4  そこで、1で述べた基本的な立場において本件における原告の被告総理大臣に対する訴えの適否を検討すると、「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。」(憲法七二条)権限を持ち、国政上は被告恩給局長に対する最終指揮監督権者ではある。しかし、本件における恩給法にかかる総務庁恩給局長(被告)、平和祈念事業法にかかる内閣総理大臣(被告)のように、いずれも行政各法規によって権限を与えられる国の機関にすぎず、前記の恩給法の諸規定等に照らしても同法上の被告恩給局長の行為の効果が直接被告総理大臣に帰属するなどのこともなく、行政事件訴訟手続において被告総理大臣と被告恩給局長とが実質的に同一の当事者であるということはできない。

また、前項までに述べた関連法規の内容等、本件における原告及び被告総理大臣の主張及び争点等に照らすと、恩給法九条及び平和祈念事業法四四条一項に定める本件国籍条項が憲法一四条、B規約二六条等に反し無効であるかどうかの点では主張立証の重なりが認められるものの、前記のとおり恩給法と平和祈念事業法とでは立法時期、立法経過、立法目的、具体的な規定文言及び内容等が異なり、被告総理大臣としては恩給法に関する立法経過等のほか、平和祈念事業法に関する固有の事情の主張立証を強いられるのみならず、慰労品請求却下処分の取消請求においては行政処分性の有無という本案前の論点(争点2)もあってそれに関する主張立証も欠くことができない立場に置かれているのである。

したがって、主位的請求と予備的請求の関係から予備的被告である被告総理大臣は、いわば主位的請求における原告の主張立証にも防御方法を提出したうえ、予備的請求に対する独自の主張立証をも強いられていると見るほかないから、同被告が応訴上不当に不利益、不安定な立場に立つことがないとは到底いえない。

そうすると、被告総理大臣に対する各訴えは主観的予備的併合として不適法であるといわざるを得ない。

よって、被告総理大臣に対する本件各訴えは、争点2などその余の点について判断するまでもなく、いずれも却下を免れない。

二  争点3(国籍条項は自己の意思に基づかない国籍喪失の場合にも適用されるか。)及び争点4中の恩給法の国籍条項の合憲性及び国際人権規約適合性について

1  恩給法の立法及び関連事実の経緯

(一) 我が国の恩給制度は明治八年に軍人を対象とする制度として発足したが、その後対象職種が巡査・看守(明治一五年)、官吏、教職員(明治二三年)に拡大され、これらが別々の法令に規定されていたところ、大正一二年制定の恩給法で一つの制度に統合・整備された。

統一前の恩給制度の各法令には国籍条項は存しなかった(ただし、発足当初の関係法令には、日本人たる「分限」を失った場合にはその間支給を停止する旨の規定が存し、明治二三年以後の関係法令には、そのような場合に受給する資格ないし権限が剥奪される旨の規定が設けられていた。)。

明治三二年に国籍法が制定公布され、その後の大正一二年に制定された恩給法には現行恩給法と同じ国籍条項が規定された。

<証拠略>によれば、大正一二年制定の恩給法の法案(政府提出議案)について帝国議会の衆議院恩給法改正に関する建議案外二件委員会における審議の過程で大正一二年二月二〇日に次のような質疑応答がなされたことが認められる。

すなわち、同委員会の当時の委員(議員)三浦得一朗から、同法案第九条に関して「『国籍ヲ失ヒタルトキ』ト云フノハ、何レ外国アタリヘ帰化シタ人間ダラウト思ヒマスガ、現ニ亜米利加ヘ帰化シテ居ル人デ恩給ヲ失ッタト云ッテ陳情シテ来テ居ル者ガアリマスガ、是ハ兎ニ角、日本帝国臣民トシテ戦役ニ従事シテ相当ノ功労ガアッテ、既ニ恩給年限ニモ達シタ者デアルガ、一朝ニシテ日本国民タルノ資格ヲ失ッタ場合ニハ停止スルト云フコトハ、少シ不当ナ事デハナイカト思ヒマス、假令国籍ヲ失ッテモ其人ノ勲功ハ存シテ居リマスカラ、是ハ均シク国籍ヲ失ッテモ、恩給ヲ支給スベキ性質ノモノデハナカラウカト自分共ハ考ヘテ居リマスガ、如何デスカ」との質疑がなされたのに対し、当時の内閣恩給局長(政府委員)入江貫一は、「日本ノ国籍ヲ有スレバコソ、其者ニ生涯恩給ヲ給シ、又遺族ニ扶助料ヲ給スルノデアリマス、ソレガ何カノ事情デ日本人ニ非ザル者トナッタ場合ニモ尚ホ恩給ヲ給シ、若クハ其子孫ニ遺族扶助料ヲ給スル必要ハアルマイト考ヘマス、ソレデ国籍ヲ失ヒタルトキハ恩給権ハ無クナルト云フ規定ニシタノデアリマス」と答弁している。

(二) 第二次世界大戦終結後、連合軍最高司令部の指示に基づく昭和二一年勅令第六八号等により、軍人、準軍人、軍属及びこれらの遺族に対する恩給、扶助料等の支給が一部重度の戦傷病者に対するものを除いて一切停止され、同年の恩給法の一部を改正する法律(昭和二一年法律第三一号)により、軍人、準軍人、軍属及びこれらの遺族が恩給権者から除外された。

(三) 昭和二六年九月八日に署名され昭和二七年四月二八日に発効したサンフランシスコ平和条約において、朝鮮、台湾等を初め日本国がその独立を承認し、あるいは、日本国が有するすべての権利、権原及び請求権を放棄する地域(いわゆる分離独立地域)が規定され(二条)、日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄するとされた(同条a)。

また、分離独立地域に関し、日本国及びその国民に対する現に右地域の施政を行っている当局及び住民の請求権の処理は、日本国と右当局との特別取極の主題とする旨規定された(四条a)。

(四) 昭和二八年八月一日施行の恩給法の一部を改正する法律(同年法律第一五五号)により、旧軍人等及びこれらの遺族に対する恩給の支給が復活したが、その際従前の国籍条項は改正の対象とならなかった。

<証拠略>によれば、右の恩給法の一部を改正する法律案(政府提出議案)についての衆議院内閣委員会厚生委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会における審議の過程において昭和二八年七月一三日に次のような質疑応答がなされたことが認められる。

すなわち、同委員会の当時の委員(議員)中川源一郎から「台湾の人で現在台湾に国籍があって、戦争当時は日本人であった、朝鮮の国籍があっても、戦争当時は日本に国籍があって、そうして日本の国のために戦死した者、傷ついた者、あるいは千島とか沖縄にもあるけれども、これらに対しまして、明確に戦死したということのわかっておる者に対しまして、恩給が出せるものであるかどうかということの御答弁をひとつ。」との質疑がなされたのに対し、当時の総理府恩給局長(政府委員)三橋則雄は「台湾、朝鮮人で戦傷病死した人の取扱いについてお話がございましたが、今の恩給法の現状からは給し得ないようなことになっておりますので、もしも給するということになりますれば、特別な法律的な措置がいることと思っております。」との答弁をしている。

(五) 昭和四〇年六月二二日、日本と韓国との間において、サンフランシスコ平和条約四条aの特別取極の一つとして、日韓協定が締結、署名され、批准を経て、同年一二月一八日に発効した。日韓協定は日本から韓国に対する経済協力を規定し(一条)、「両締約国は、両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」(二条一項)と規定し、同条三項は「一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって、この協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」と規定している。

また、同協定は「この条の規定は、次のものに影響を及ぼすものではない。」(二条二項本文)とし、「一方の締約国の国民で昭和二二年八月一五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益」(同項a)と規定している(右にいう「一方の締約国の国民で昭和二二年八月一五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるもの」としては、実際には主としていわゆる在日韓国人がこれに当たる。以下、右に該当する韓国国民を「在日韓国人」という。)。

そして、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定についての合意された議事録2aには、同協定二条に関し「財産、権利及び利益」とは「法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利」をいう旨規定されている。

そして、日韓協定二条の実施に伴い、日本においては、昭和四〇年一二月一七日、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律が制定され、これにより、韓国又はその国民の財産権であって、同協定二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、原則として同協定署名の日(同年六月二二日)において消滅したものとされた。

他方、韓国においては、請求権資金の運用及び管理に関する法律、対日民間請求権申告に関する法律、対日民間請求権補償に関する法律等が制定され、韓国政府が、日韓協定の経済協力により導入された資金等により、韓国国民の日本国政府に対する各種債権や日本国により軍人軍属等として召集又は徴用され、終戦前に死亡したことにより日本国に対して有した請求権等の民間請求権の補償をしたが、在日韓国人はこれらの補償対象者からは除外された。

そして、<証拠略>によれば、日本政府は日韓協定について「同協定第二条2aは、昭和二二年八月一五日から同協定の署名の日である昭和四〇年六月二二日までの間に、日本国に居住したことのある韓国人の『財産、権利及び利益』については、同条の規定が影響を及ぼすものではない旨規定しているところ、ここでいう『財産、権利及び利益』とは、同協定についての合意がなされた際の議事録2aからしても、『法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利』に限定されている。しかるに、旧軍人に対する普通恩給については、昭和二八年に復活された際、日本国籍を有する者にだけ普通恩給を給するとされているから、およそ日本国籍を有しない旧軍人の普通恩給は国内法上の根拠を欠き、右『実体的権利』に該当する余地はない。したがって、昭和二二年八月一五日から協定の署名の日である昭和四〇年六月二二日までの間に我が国に居住したことのある韓国人に関するものであっても、旧軍人の普通恩給請求権の問題は、同協定第二条一項に規定されているとおり、完全かつ最終的に解決済みである。」旨の理解をしていることが認められる。

2  争点3(国籍条項は自己の意思に基づかない国籍喪失の場合にも適用されるか。)について

恩給法は九条一項三号で「国籍ヲ失ヒタルトキ」を恩給を受ける権利の消滅事由として規定しているところ、原告は、これは自己の意思による国籍喪失のみを指す旨主張する。

しかしながら、同号は、国籍喪失の経緯、態様については何ら定めていないから、国籍喪失に至った経緯、態様を問わない趣旨であると解するのが文理上自然であること、立法者意思の観点からしても、前記1(一)のとおり大正一二年の立法時においても、また、前記1(四)のとおり昭和二八年の改正時においても、国籍喪失の理由の如何を問わない意思であったことが認められる(大正一二年の立法時の質疑は、直接的には、自己の意思に基づかない国籍喪失についてのものではないが、国籍喪失の理由の如何を問わないという思想は表明されていると解される。)ことからして、恩給法九条の国籍条項は、自己の意思によらない場合も含むと解するのが相当である(最高裁平成四年四月二八日判決・裁判集民事一六四号二九五頁以下参照)。

よって、争点3に関する原告の主張は理由がない。

3  争点4中の恩給法の国籍条項の合憲性及び国際人権規約適合性について

(一) 憲法一四条一項は、その保障の対象となる権利等の性質上特段の事情が認められない限り、少なくとも我が国に在住する外国人に対してもその保障が及ぶべきものと解されるが、右規定は合理的な理由のない差別を禁止する趣旨のものであり、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないと解すべきである。

ところで、恩給法は本来、国が退職後の公務員の生活を保護する生活援助法としての性格を持つものであるところ、このような援助は、その対象者の所属する国家の責任においてなされることが現在の国際間で基本的に容認されている実状にあると解される。また、恩給が公務員であった者に対する処遇の一環であることからすれば、どのような処遇を行うかは、一国の公務員制度全体を視野に入れた巨視的な観点からの立法政策的な考慮の働くべき要素が大きい。

加えて、現実に参戦した軍人に対する恩給は戦争による犠牲に対する補償的要素も含まれると解される。この点、戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態の下で国民が堪え忍ぶことを余儀なくされた犠牲は、いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、これらの戦争損害に対する補償は憲法の右条項の予想しないところというべきである。

そして、これに対する補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、憲法の右条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほかはなく、これについては国家財政、社会経済、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である(最高裁平成九年三月一三日判決・民集五〇巻三号一二三三頁参照)。

このような軍人恩給の特殊性を考慮し、また、前記1(四)の昭和二八年の恩給法の一部を改正する法律の制定時において、これに先立ち、前記1(四)のとおり、朝鮮半島及び台湾出身者に対する補償問題は、韓国政府と日本政府との特別取極によって解決されることが予定されていたことを考慮すると、立法政策の当否は別として、本件国籍条項が憲法一四条一項に違反するような不合理な差別であるとはいえないと解される(最高裁平成四年四月二八日判決集民一六四号二九五頁以下参照)。

ところで、前記1(五)のとおり、日本政府は、昭和四〇年に日韓協定が締結され、昭和二二年八月一五日から協定の署名の日である昭和四〇年六月二二日までの間に我が国に居住したことのある韓国人に関するものであっても、旧軍人の普通恩給請求権の問題は、同協定第二条一項に規定されているとおり、完全かつ最終的に解決済みであると解していることが認められ、法的にも右の政府見解どおりだとすると、昭和二八年の恩給法の一部を改正する法律の制定当時の差別的取扱いの合理性を弱める要素になるといえる。

しかし、前述の軍人恩給の特殊性をも勘案すれば、右の特別取極によって補償されることがなくなったとしても、そのことから直ちに日本国籍を有しない者と有する者とを同じ恩給法により、かつ、全く同等に補償すべきであるとの結論が導かれるわけではなく、この点は、やはり立法政策に属する問題であるというべきである。したがって、右の特別取極に相当する日韓協定が締結された後、別途他の補償立法措置をとらない場合でも、そのことから当然に本件国籍条項を廃止して、日本国籍を喪失した者にも恩給法を適用すべきであるということにはならない。

国籍条項を存続させたことについては、そのような立法政策をとったことの当否、あるいは、争点7の立法の不作為が問題になる余地があることはともかく、そのこと故に、日韓協定締結以後当然に本件国籍条項が憲法一四条一項に違反することになるということはできないというべきである。

(二) また、原告は本件国籍条項がA規約二条二項、九条、B規約二六条に違反し無効である旨主張し、A規約等には次のような定めがある。

すなわち、A規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)(昭和五四年八月四日条約六号、昭和五四年九月二一日発効)二条二項は「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する。」と、九条は「この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。」と、またB規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)(昭和五四年八月四日条約七号、昭和五四年九月二一日発効)二六条は「すべての者は法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。」とそれぞれ定めている。

なお、A規約二条一項は「この規約の各締約国は、立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に経済上及び技術上の援助及び協力を通じて行動をとることを約束する。」とも定め、またB規約二条一項は「この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」と定めている。

そこで、判断すると、以上の各規約の条項等のほか、憲法一四条の規定の趣旨等に照らすと、すべての者の平等を原則的に宣言し、合理的な理由のある場合に限って差別的な扱いが許容されるという判断の枠組み及びいわゆる自由権に属する地位等といわゆる社会権に属する地位等とで国が立法等において要請される責務の範囲程度等が異なるという平等概念の相対的・多義的な性質等において、原告の主張する各規約における平等原則と憲法一四条の宣言する平等原理もその根本趣旨においては異なるところがなく、前項のとおり、少なくとも恩給の受給権に関する恩給法の国籍条項が不合理な差別を行うものということはできないから、右規約に反する無効なものということもできないというべきである。

原告は、ウィーン条約(昭和五六年七月二〇日条約一六号)(昭和五六年八月一日発効)三一条、三二条の規定(条約の解釈に関する規定)等を根拠に、右各規約等の解釈において立法裁量論等を適用することはできない旨主張する。しかし、ウィーン条約がB規約等に対しても適用されるかどうかは別としても、同条約の規定から直ちに立法裁量論等を適用できないことにはならない(原告は、条約の文言の解釈の補足資料として判例法が使用されることなどを指摘し、それらを根拠に右の主張をしているもののようであるが、本件に関し、右各規約の関係で我が国に対し拘束力を有する判例法は存しない。)。

(三) さらに、原告は憲法一四条一項及び国際人権規約の解釈について規約人権委員会の「見解」、「意見」等を根拠にした主張をするが、我が国はB規約四一条に基づく宣言(我が国に関して他の締約国がなす通報を規約人権委員会が審理する権限を認める旨の宣言)をしておらず、また第一選択議定書も批准していないことから、同委員会の「見解」等は、我が国の裁判所を法的に拘束するものではない(この点は原告も認めるところである。)。したがって、同委員会の「見解」等はあくまで事実上の意見として斟酌されるにとどまる。

(四) 以上のとおり、争点4中の恩給法の国籍条項の合憲性及び国際人権規約適合性に関する原告の主張は理由がない。

三  争点5(被告国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求の当否)について

1  事実経緯

(一) シベリア抑留等をめぐる事実経緯(公知の事実である。)

第二次世界大戦は、昭和二〇年八月一五日我が国がポツダム宣言を受諾し同年九月二日のミズーリ号艦上での降伏文書へ署名をすることにより終結した。

旧ソ連は、ポツダム宣言受諾に先立ち、同年八月八日に有効期間内にあった日ソ中立条約を一方的に破棄して、我が国に対し宣戦を布告し、旧満洲及び朝鮮に侵攻し、日本軍を攻撃し、旧満洲、旧関東洲、北部朝鮮、南樺太、千島の各地を占領した。この間、我が国はポツダム宣言(同宣言九項には「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。」と定められていた。)の受諾に伴い、対ソ戦線を収拾するため、日本軍に対し、同年八月一六日付け大陸命第一三八二号をもって戦闘行動の停止を命じ、また同月一九日付け大陸命第一三八六号をもって同月二二日午前零時以降の作戦任務を解くなどの命令を発し、この結果、日本軍は各地においてソ連軍により武装解除を受けた。武装解除された日本軍将兵は徒歩行軍によって主要都市に集結させられ、同年九月ころから旧ソ連軍により逐次作業大隊を編成され、シベリア、中央アジア、ヨーロッパ、ロシア、極北、外蒙などに鉄道で輸送され、約二〇〇〇の地点の収容所に捕虜として分散抑留されて強制労働に服させられた。

(二) 原告の抑留経歴等

原告は、前記第二の二1認定のとおり、昭和一九年七月ころ関東軍独立守備隊歩兵第二四大隊に配属され、当時の満洲国富錦県五頂山付近で軍務に就いた後、昭和二〇年八月の終戦時には独立歩兵第二六六大隊に所属していたが、同大隊が敗戦後満洲国富錦県方正において旧ソ連軍に武装解除されたことに伴い、同軍に捕虜として連行、抑留された。その後、原告は、昭和二〇年九月ころから昭和二八年八月ころまでの間、ハバロフスク、イルクーツク、タイシェット、そして再度ハバロフスクの各捕虜収容所に抑留された。

2  判断

一般に、安全配慮義務はある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対し信義則上負担する義務であって、国家公務員の場合には、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は国家公務員が国若しくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当たって、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務と解される。このような義務は、大日本帝国憲法の下において徴兵又は志願により軍務に就いている軍人と国との間でも存在しないものではないと解される(戦地において戦闘行為に従事し、敵の攻撃等により生命身体の危険にさらされることが当然に予定される軍務の特質等から、一般の公務員に比してその適用範囲は制限されると解される。)が、いかなる事実関係について安全配慮義務違反が問われるかが問題となる。

この点、原告は、被告国がポツダム宣言を受諾し、軍人の戦争遂行という任務を解いたからには、軍人である原告の生命、身体の安全を図り可及的速やかに本国に帰還させるべき義務を負っていたのに、被告国はこれを怠った旨主張する。

しかし、ポツダム宣言九項には前記1(一)のとおり「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。」と定められており、我が国は同宣言を受諾して無条件降伏をしたのであるから、日本軍は解体され消滅することになったものである。また、現実に連合国軍が日本を占領し、我が国の統治組織を支配下に収めるまでの間は、軍及び政府が事実上その機能を失っていなかったとしても、国が無条件降伏をし、外地にある軍もこれに従う以上、軍人は、降伏した敵国の元軍人として、その滞在地を支配する国の取扱いにゆだねられることになるのは必然的な成り行きといわざるを得ない。したがって、このような状況下にあっては、我が国がポツダム宣言を受諾して我が国の軍人に武装解除を命ずるに当たり、その軍人の帰還につき滞在地を支配する国(本件では当時の旧ソ連)の政府と軍人の帰還について外交交渉を尽くさなかったとしても直ちに安全配慮義務に違反したとはいえないというべきである(最高裁平成九年三月一三日判決参照)。

よって、争点5に関する原告の主張には理由がない。

四  争点6(被告国に対する憲法二九条三項に基づく損失補償請求の当否)について

原告は、強制抑留により生命が危険にさらされ、過酷な強制労働や思想教育等により身体の自由、思想信条の自由等に重大な侵害行為を受けたとして、これによる損害について、憲法二九条三項の適用ないし類推適用により補償されるべきであると主張する。

しかし、前記二3(一)で述べたとおり、戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態の下で国民が堪え忍ぶことを余儀なくされた犠牲に対する補償については、国家財政、社会経済、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。シベリア抑留者が長期間にわたる抑留と強制労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても、他の戦争損害と区別して、憲法の右条項に基づき、その補償を認めることはできないものといわざるを得ない(最高裁平成九年三月一三日判決参照)。

よって、争点6に関する原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五  争点7(被告国に対する立法不作為に基づく損害賠償請求の当否)について

国会議員は、立法に関しては、原則として国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うがごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないものというべきである(最高裁昭和六〇年一一月二一日判決民集三九巻七号一五一二頁以下)。

これを本件についてみるに、憲法には、そもそも具体的に軍人に対する恩給等の制度についての規定や、あるいは、その適用において本件におけるような状況下で在日外国人と日本人との取扱いを同等にすべき旨の規定は存しないから、原告が主張する立法の不作為について、これが前記の例外的な場合に当たると解すべき余地はない。

したがって、原告の主張する立法の不作為は国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものではない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、争点7に関する原告の主張は理由がない。

第五結論

以上によれば、原告の被告総理大臣に対する各訴えはいずれも不適法であるから却下することとし、被告恩給局長及び被告国に対する各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 大出晃之 芦澤政治)

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